見せる(魅せる)

 

子供は何を見て育つのだろうか

 

親?教師?友人?政治家?youtuber?

 

少なくとも幼少時代は親を見て育っているだろう

つまり

めんどくさがって何もやらない親と

何か新しいものに挑戦する親

 

子供の当たり前(常識)がここで決まる。

家族の当たり前は、他の家族では異常ということは普通にある。

つまり親、もしくは教育者にとって見せる(魅せる)ことは教育の一つになるわけだ。

 

では何を見せる(魅せる)?

 

子供の目や感情が色々なものに縛られる前に

縛られない自分の生き様を見せてほしい。

 

人は大人になるにつれて、社会に出るにつれて、自分の枠組みを勝手に作っていく。

『○○に所属する、○○という資格を持った、○○です。』

 

ある意味個人を表現する上では伝わりやすいのかもしれない。

しかし、場合によってはその枠組みから外れられないときがある。

 

資格や職業によって自分は出来ないというのだ。

本来人には○○だからしてはいけないなんてことはない。(法律に触れることや、他人に害を与えるものは別)

1人の人として何が出来るのか、社会の役に立つのかが重要である。

 

つまり子供が色々なものに縛られる前に、本来人には縛りなんてなくて勝手に縛られなくてもいい、縛られない考えを見せてほしいということだ。

とはいっても縛られない考えというのは、難しいものだ。

人間には自然と縛っていることがあるからだ。(メンタルブロックともいう)

例えば ランドセル 法律的にはランドセルで通いなさいなんて一言も書いていないのに、当たり前に小学校に入ったらランドセルを買う。

自分の身体に合わない、成長期に6年間も使い続ける、硬い、重いカバンを。

しかしランドセルを買わないと、お金がないだの、いじめの原因になるだの、子供がかわいそうだだの言われる。

小学校=ランドセル のイメージが強すぎるのだろう。

 

つまり勝手に縛られているのだ。(企業戦略かもしれない)

 

まずは自分を縛っているものに目を向けてみるのもいいかもしれない。

その上で何を見せる(魅せる)か?

 

本当に必要だと思うことであれば、それは大人が変えていかなければいけない。

本来人間同士は協力て改善していける力を持っているのだから。

 

さぁ何を見せる(魅せる)?

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